当時のパチンコ店員の主な仕事はパチンコ玉を運ぶこと!
1991年当時、パチンコ玉は玉箱に入れ交換時はパチンコ店員がジェットカウンターまで運搬していた。パチスロのコインも然りである。現在のように出玉は箱に入れず直接カードにデータが書き込まれる最新ハイテク機器などはなかった。
すべてが手動で行われていたアナログ的なパチンコ店の時代、店員たちはある事で激しく競い合っていた・・・
連チャン機が大量の玉箱タワーを作る
私の働いていたパチンコ店の玉箱の種類は「2500発」「4000発」用の2種類だった。重さは2500発で約6キロ、4000発だと10キロ以上になる。箱1つだと男性には軽々と持つことができる。しかし、当時はソルジャーやダイナマイトなどの爆裂連チャン機が主流、1箱で済むはずがなかった。
連チャンを重ねたお客さんの玉箱はタワー状態で10箱以上は珍しくなかった。交換時はまさに地獄である。台車を持っていき何回かに分けて運べば問題ないのだが、時間がかかるのと何より面倒くさいということがあった。なので店員たちは素手で運ぶことを選んだ。
パチンコ店員たちの熾烈なパワー競争!
先ほど書いた通り玉箱は小さいのもでも1箱6キロ以上ある。それを2段、3段と重ねて一気に持ち上げジェットカウンター(計数機)まで持っていく。最初は2箱ずつ持って行っていた。しかし、女子店員に「あんなに重いもの持てるってすごいね!」と言われて火がついてしまった!
次の瞬間から3箱持つ奴が現れ、次に4箱とだんだんエスカレートしていった!私は危ないのと体の事を気遣って台車を使えと口を酸っぱくして言っていた。しかし、そんなことはお構いなしにだんだんと持つ玉箱の個数が増えていく4000発箱4箱を持つ強者まで現れた!
玉箱の取っ手に限界が来た
当時の玉箱はただのプラスチックで強度があまりなかった。4箱も持つと取っ手のプラスチックが重さに耐えれなくなりついには割れてしまった!4000発×4で16000発がホールに豪快に散らばった!まさにカオス!
店員の指はうっ血して紫になっていた!そして散らばった玉は他の客が拾って自分のものにしていった!もう誰の玉かわからない…
パワー競争の末・・・
こんなことばかり続けていると体に支障をきたす。やはり腰に来る。ぎっくり腰になったりヘルニアになったりする。昔のパチンコ店員(主におっさん)は高確率でヘルニア持ちだった。
コルセットは必須になる。歩き方も腰をかばいながらになるのでおかしくなる。
私は重いものを持つのが嫌いだったのでほとんど持たなかったのでいたって健康だった。若さに任せて無理すると年を取って大変なことになるので注意してほしい。